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共感、同情、共有、交感、交流・・・などと言ってみたところで、要するに偶然の誤解であり、錯覚であり、仮想や連想の世界ではないか。有るのか無いのかも定かではない何かに関連づけて、類推し、予測し、比較し、あるいは共通点を見い出したり、例えたり、あるいはまた、抽象化したりする。 そして、こうしたことを自分の肉体の内部で見ると、反射作用や馴れや習性、それに自己の動作としても現れている。それは、連鎖し連想する肉体内部の交感作用なのである。肉体の他の細胞同士や、組織や器官に起こったことを、他の細胞や器官がそれを感じ取っているのである。 |