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感じ取ると言っても、意識も観念もない肉体自身の世界なので、物理的な刺激が基になっての反射作用や習性といったものにならざるを得ない。外からの刺激といったものが、何らかの信号やスイッチ、サインや印象となって、それが自分の内部の組織や器官、また、それら同士を関連づけ、繋ぎ、順序付けて、拡げて動かして行くのである。 この場合、その基になるのは観念や意思などではない。もともとそのような意識が介入する余地のない、物理的で生理的な世界なのである。しかし実は、そうしたことは自分自身の観念や意識の世界でも起こっている。あるいは、観念や意識の世界の営みそのものといってよい。生理とは別の観念の世界でも起こっている。 |