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6、根源。


なぜなら自分の感情といったものが、このような自分の肉体を通して感じられてくるからである。そうして、それを知ることも理解することも出来るからである。私たち人間には、それ以外に自分を知る方法がないのである。

そしてこれが、他と区別される自己の必然性になっているのである。自己と他者を区別する境界線になっているのである。自分で自分を見て感じて確かめる場所となっているのである。

どこか他人と違う自分というのを感じてしまう、そうした場面、そうした自己の存在の必然性になっているのである。これは自己の自律した営みなのである。そしてこれが、自分が自分でなければならない理由になっているのである。

それは、自分が自分を意識する存在の根源なのである。あるいはまた、それは自分というのが生まれ出てきた場所なのである。

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2019-0221-0307