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5、生理。


しかしまた、さらにもう一つ、非常に大事な世界がある。観念でもなければ、そしてまた、客観的な物理的現実でもない世界がある、ということである。人間の肉体内部の生理の世界がそれなのである。

ここにおいて私たち人間は、快・不快や、心地良さや、気味悪さや、楽しさ、わずらわしさといった情緒を感じ取っているのである。そしてこの情緒といったものが、そこから対象(相手)を認めて、それを思いやる喜びや、あるいは怒り、あるいは悲しむといった「感情」を生み出しているのである。

つまり、この生理作用の情緒といった世界は、自分でもなければ、外の現実でもない、そうした、どちらとも言えない世界なのである。しかしまた、だからこそ、それが自分自身の根源にあって、その根拠となっているのである。

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2019-0221-0307