index< 日誌 < ax背景< 23b-92 「錯覚」p9 |
従って、これを何らかのカタチや行動でもって確かめ、理解し、知ろうとしているのである。知らずには居られないし、知らなければならないのである。それは自分自身のことなのである。 そして、これが自分自身の表情なのであり、そしてこれがまた、馴れや習性、クセへと繋がっているのである。このようにして、それが肉体表面に表現されているのである。 言い換えると、それは誤解であり、錯覚なのである。主観であり、偏見であり、思い込みと思い過ごしでしかないのである。そしてこれを、私たち大多数の人間は「常識」と言っているのである。 |