index< 日誌 < ax背景< 23b-92 「錯覚」p9 |
このようにして現実が正当化され、そしてこれが自分たちの存在理由になってゆくのである。自分にとっての主観的な思い込みといったものが、自分自身の身体の表情やポーズ、習性といったものに乗り移り、取り憑き、そして「なりすまして」ゆくのである。 つまりこれが、自分たちにとっての自意識なのであり、生きている意味や、人生の楽しさ、そして自分たちが信じ守るべきものとされるのである。 さらにまた、この偶然の錯覚と思い込み世界は、自分の肉体の情緒に意味を与えるだけでなく、自分たちが見て触れて感じる、現実世界の様々な景観や出来事に対しても、それを象徴化し、自分にとって印象に残っている部分だけを、無意識の記憶の世界に残して行く。 |