index< 日誌 < z自意識 < 23c-06涙3 「自己認識」p5 |
だからまた苦しいとき、つらいときに肩を落としたり、顔をしかめたり、うめき声を上げたりもする。また、嬉しいときや楽しいときは、軽やかで無意味な、まるでダンスのような仕草をして見せたりもする。顔を緩め、拡げて、神経を解き放ち、笑ったりほほ笑んだりもするのである。 そうやって自分で自分を見つめ、確かめ、納得しているのである。そしてそれは、本人にしてみればどうしても必要なことなのである。それは言わば「儀式」なのである。それは、自分が自分であることを証明して見せているのである。 そしてまた、このような思い込みによって私たちは支配され、拘束され、導かれ、そして追い立てられているのである。人間は、このようにしかなれないのである。これが人間というシステムであり、またその限界でもあり、その範囲と制約を示しているのである。 そして、この限界の範囲が人間の精神の領域なのであり、そしてその境界線が自己の精神のカタチを示しているのである。 |