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だから、このような錯覚を表現したりするものとしては、何かの象徴やインスピレーション、それに何かしらの暗示やサインでしかないのである。現実世界の理由や原因などといったものから切り離された、そうした象徴や記号の世界でしかないのである。 まただからこそ、このような現実との係りのないところでのみ、そうした仮想や象徴といったものが成り立っているのである。そして、これが錯覚と連想の世界なのである。また、そうした外の世界から切り離された錯覚の世界でのみ、自己というのが成り立ち得るし、そしてまた、それが意識もされてくるのである。 これが、錯覚であり、そしてまた象徴なのである。そうやって私たちは自分を意識し、世界というのを観念化しているのである。 |
戻る。 続く。
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2019-0327-0329