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それは、遺伝によって与えられた肉体といったものが、現実を生きる存在として順応し、機能し始めたということである。潜在的な可能性に過ぎなかったものが、現実の確かめることのできる「存在」となった、ということである。観念的に特定されていたことが、現実の物になったということである。 だからまた、いったいどこからどこまでが遺伝であり、順応(=適応)なのかということは、だれにも解(わか)らないし、確かめられないし、確かめることも出来ないということである。ただ、便宜的、人為的、観念的で意図的な区分に過ぎないということである。 そしてこのような、与えられ定められた遺伝というものの、その遺伝の「仕方」といったものを、適応が決定しているのである。 身体の機能は遺伝が用意し、そしてこの機能の仕方をその後の順応が決定しているのである。そしてこの適応された現実のカタチをもって、私たちは遺伝または適応と言っているのである。すなわち、遺伝と適応の境界など無いのである。 |
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2019-0327-0329