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また、世間の常識というのが演繹法によって成り立っていて、これを否定しようとするならば帰納法に基づくしかなく、そうである以上、具体的な事例に基づいて様々な角度から執拗に昇って行くしかないのである。 つまり、執拗で回りくどくなるし、何か同じことを何度も繰り返しているように聞こえてしまう、というのは仕方のないことなのである。 しかしなぜ、世間の常識が演繹法なのかというと、それは、だれもがラクをしたいからである。ムダなことや余計なことをしたくないからである。つまり、頭の中が合理的な理性によって守られているからである。 そして、そうであるにも関わらず、私(筆者)自身はこの理性を信じてないからである。この理性とは、近代以降の「経済人」という概念の根拠とになっているもので、それ自体が20世紀後半以降、通用しなくなっているからである。それは近代という時代の精神に過ぎなかったのである。 |