index< 日誌 < s設定 < 23c-29「共感の背景」p2 |
こうしたコミュニケーション。交感や共感、交流と同情、そして意識の共有という観点からすると、動物より人間の方がより複雑で著しいものがある。そして、そうした情緒の動きといったものを作り出すのは、偶然と、錯覚と、思い込みなのである。 たとえ錯覚と言えども、それが数百年繰り返されると、それがなくてはならない象徴となり、習慣ともなって、何らかの動作へと強制する儀式的な印象やサインとなり、そして当事者にとっては、それが真実となる。 そしてこれが「自分たち」という日常の、馴れと習慣、そして仕草や表情となっているのである。そして、そうした定形化された日常の動作といったものは、人間が社会の中で生きている以上、なくてはならないものである。 それは、コミュニケーションの必要上、どうしてもなくてはならないものなのである。言葉以前の、表情や仕草によって、自分たちが共通の舞台の上に居ることが納得もされるし、知られてもくるのである。 |