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そしてまた、それで十分であり、またそれが人間が必要とするもののすべてなのである。言い換えれば、何もかもが主観的でしかないということである。主観というのは思い込みであり、誤解なのであるが、しかしこれが自分の感覚でもって、現実であると信じられているのである。つまり、錯覚なのである。自分の感覚もまた主観でしかないのである。 もちろん、何もかも錯覚としてかたづけると、何一つ確かなものがない幻想の世界のようで、これでは確かに現実の世界とは言えない。しかし、この現実というのを、その現実の外の世界から見てみると、やはり、主観と偏見でしかないのである。つまり、錯覚でしかないのである。 それぞれがバラバラで相対的な、変化し続ける関係の、一時的で瞬間的な連鎖が支配する世界なのである。そしてこの主観の果てしのない取捨選択の繰り返しが、その結果として客観的な事実を生み出しているのである。 |
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2019-0402-0404