index< 日誌 < s設定 <  23c-40錯覚4 「サインの形式」p6

6、永遠。


それは連想や予測と想像、類推や暗示、抽象などでもって自分を理解するしかなく、そしてそれに基づいた形式の表情や仕草でもって自分を表現している、あるいは表現せざるを得ないのである。

だからまた、自分という者を変異して行かざるを得ない。変異なくして、自分というのが自分の中から失われてゆくからである。形式だけに支配されて自分を失ってゆくからである。自らの変異を通して自分を意識して行かねばならないのである。

そしてまた、このような錯覚でしかないというところが、自分を変異させ、進化(または退化)させて行く。すなわち、自らの歴史というものを作り出して行く原因と動機になっているのである。

人間が有限な存在である以上、無限な永遠のものを求めるのであって、そうせざるを得ず、そうやって自分が全(まっと)うされて行くのである。そうして歴史上の存在として消えて行くのである。

戻る。             履歴へ

index< 日誌 < s設定 <  23c-40錯覚4 「サインの形式」p6

2019-0404-0416