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5、表現。


迷信やタブー、シキタリやオキテといったものがそうなのである。そうして生きているし、生きて行かねばならず、そうやって生きて行くしかないのである。

つらくて悲しくて涙が出る。反対に涙が出てきて、訳もわからず悲しくなる。あるいは、楽しくて歌って踊る。反対に、悲しくても歌って踊ることによって、気をまぎらわし楽しく振舞おうとするのもそうである。

このような、無意識の表情や動作といったものが、そうなのである。それ以外の表現の仕方といったものを人間は知らないのである。そうである以上、それに最も近い錯覚でもって自分に言い聞かせ、納得し、それでもって自分を表現せざるを得ないのである。

戻る。             続く。

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2019-0404-0416