index< 日誌 < s設定 < 23c-41錯覚5 「初期化」p3 |
錯覚とは変化(または変異)のことであって、変化するから何かそれまでとは違うものとして意識されてくるし、また、そうした錯覚が必要とされるのである。しかしまた同時に、それは錯覚でしかなく、錯覚によってのみ、それが理解されているのである。 人間には、錯覚以外に理解の方法がないのである。しかし、このような未知のものを、いったいどのようにして理解するのだろうか。それは、すでに自分の中で知られているものでもって、理解してゆくしかないものなのである。 そしてこの「すでに知られているもの」というのも、当初は錯覚から始まっていて、これが永い年月の経過の検証によって定着し、そしてやがて常識となったものなのである。すなわち、どこまで行っても錯覚でしかないのである。 そしてまた、この錯覚でもって自分を理解し、納得するしかないのである。そして、これが自意識というものであり、自分が信じることが出来るもののすべてなのである。だからまた、どうしてもこれを信じなければならず、自分にはそれしかないのである。 |