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2、アイデンティティー。


しかしまたそれが錯覚である以上、錯覚は変化せざるを得ず、変化することこそが錯覚なのである。そしてこの時間的に変化する「あり様」が、自分が知ることが出来る自分のすがたなのである。この変化によって、自分が自分に知られてくるのである。

それは自分の存在の理由であり、自己の意識が現実に現れたすがたなのである。錯覚とは変化のことであって、実はこの変化の中に自己の理由とその必然性を見ているのである。

だからまた、この変化する自己の自意識を知ることによって、その必然性と自己の同一性を知ることになる。特に、自己の同一性、アイデンティティーは、このような自己の変化のないところで意識されることはない。

戻る。             続く。

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2019-0404-0416