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記憶といったものが意識や思考としてではなく、生理の作用の仕方として記憶されているのである。だからまたそれが、意識や思考として思い出されるということがなく、ただ肉体の感覚としてだけ感じられてくるということなのである。 意識としてではなく、肉体の感覚がそれを覚えていたのである。言い知れぬ、自分でもワケの分からない不可解な、そうした肉体の感覚として感じられてくるということなのである。だからまた、なぜそうなるのか、自分でも分からないのである。知る方法がないのである。 ただそれが、言い知れぬ「わだかまり」や、心地よさ、興奮や、意味不明の衝動、あるいはまた原因不明の感動や情緒の異変として感じられてくる、ということなのである。 |