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たとえば大昔の土器や石器といったものが、それぞれの地域や歴史的な時代に自然発生的で偶然に用いられ、彼らの生活の一部分になっているとしても、これを大きな歴史的な過程の中で見ると、やはり必然だったのである。 このような自然発生の偶然性自体が、それを生み出した人間の身体的特徴と、これを取り巻く環境がもたらした必然だったのである。人間自身がもつその身体的特徴と、そこからもたらされる生存の仕方が求める同一性が、それを方向づけてきたのである。 そして、このような基本的な条件を前提にせざるを得ず、そうした意味でこれが「必然」だったのである。このようにならざるを得ず、事実、そうして来たのである。そしてこれが現実として、現在に至るも残り続けているということ自体が、これが必然であったことを証明しているのである。 |