index< 日誌 < ar象徴 < 23c-48「迷走」 |
あるいは、何か不幸な小説か映画を見ていて、やるせなくなって、自分の指先が何かを撫でようとしているも、そうである。 昔のヤクザ映画を見ていて映画が終わり、映画館を出た途端、自分もどういうワケか気持ちが大きくなっているのもそうである。 そうやって何かしらの情緒や感情といったものを、自分の中で作り出して、自分でそれを呼び起こしているのである。そうした意味でこれもまた必要で、必然的な動作であると言える。しかしまた、そうしたことが自分と他人との間で、感情を共有する動機にもなっているのである。 |