index< 日誌 < ar象徴 < 23c-48「迷走」 |
例えば、考え込んだ時などに、なぜか目を細めて遠くを見ようとしている仕草がそうである。また、身体のどこか一部分が痛いときに、その部分を振り払ったり投げたりする動作がそうである。 あるいはまた、自分の中で共感や同情があって、それをどこかで共有し交流し合っているような、そうした無意味な象徴的動作といったものもある。 サッカーを見ていて、得点の入る瞬間、自分でも足でボールを蹴ろうとしている動きがそうである。あるいはボクシングの試合を見ているときもそうだ。勝手に自分の腕がパンチを出そうとしている。 |