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7、営み。


しかし、このような錯覚は仕方のないことで、そしてまた、必要なことなのである。そうやって現実の出来事といったものを様々な角度から、様々な理由と原因を基づいて解決して行くことが、可能になるのである。

そもそも、思考自体がこのような錯覚と仮想に基づいて成り立っているのである。錯覚なしに思考自体が成り立たないのである。思考とは、錯覚のことなのである。

自分にとってもっとも根源的な「信じるもの」というのが、この情緒の世界で意識されているのである。ただし、これは思考や自意識として意識されているのではなく、それ以前の、あくまでも情緒内部の自律的な営みとして感じられているのである。

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2019-0406-0408