index< 日誌 < aj情緒 < 23c-61情緒6 「失われた記憶」p5 |
さて、話は元に戻るが、このような見えることのない身体内部の生理と神経の作用といったものが、情緒となって自分の身体表面に現れている。自分でも気づかないままで、ときには自分の意志に反して、自分の意志に逆らってさえも現れてくる。そうした何らかの動作や表情として現れているのである。 そしてこの現実に現れるパターンの形式と作法といったものが、型にはまった、従ってまた、だれにとっても分かりやすいような形式とカタチでもって表現される。そしてまた、このカタチのパターンといったものが、ある程度限られ制約されたものになっている。 自分にとっても、相手にとってもまた、それは制限されたものにならざるを得ず、制限されることによって、それがコミュニケーションの手段として成り立っているのである。そして、これが表情や仕草となるためには、この身体の動きのパターンといったものが制約され限られざるを得ないのである。 |
履歴へ 続く。
index< 日誌 < aj情緒 < 23c-61情緒6 「失われた記憶」p5
2019-0406-0408