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自分の中の潜在的な可能性といったものは、もともと遺伝の中にあったのである。つまり、カタチある具体的なものとしてではなくて、漠然として捉えがたく、ぼやけたままの状態で、あくまでも潜在的な可能性としてあり続けたのである。 というのは、遺伝と言っても、具体的で現実的な物的なものは何もなくて、ただその運用と機能の仕方と方法において、ある程度の方向だけが定められていたのである。 なぜか? 自分の生き方・感じ方・考え方といったものは、自分という肉体のカタチと構造において、すでに定められている。成し得る方向といったものが、すでに条件づけられているからである。 |
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2019-0408-0411