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このようにして、情緒の求めるものが現実のものでなくなり、現実から切り離された仮想の世界になる。もしくは現実とは別の情緒自身が求める感じよさ、気分や気持ち、雰囲気といったものになっている。 このようにして、情緒自身が求める様々な表情やポーズが作り出されているのである。そしてこの表情やポーズの実体、もしくは正体、あるいは起源といったものは、遠い昔のどこかで経験され、獲得された、そうした実践的で現実的な必要から生まれたものなのである。 言わば、現実の具体的な実際の必要から始まったものなのである。まただからこそ、それが当初持っていた、そうした表情や仕草の中に感じられた気分や心理が残っていて、そしてその生理的な感覚の気分といったものが呼び起こされているのである。 |