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4、正直。


そうした当初の感覚的な気分だけがのこり、現実の具体的な経緯や動機が失われているのである。情緒が求め必要とするのは、それが当初持っていた仕草や行為の動機や目的などは、もはやどうでもよいものになっているのである。

従って、そうした情緒の感覚、そしてそれが表現する仕草や表情といったものは、それと似たどんな気分や感覚にも適用されるし、それらの間で乗り移ったり、入れ替わったりしながら、そしてそれが自分にとって納得も出来るし、信じることも出来るものになっているのである。自分の心情に正直であるという意味でそうなのである。

戻る。             続く。

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2019-0411-0417