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4、同期。


たしかに、ピアノや太鼓の音は自分の心臓の音のようにも聞こえるし、トランペットは人の呼吸の音をマネている。そしてバイオリンは人の神経に触れているような、そんな軋(きし)る音色をしている。

つまり、自分の中から何かが呼び起こされようとしているのである。これは連想であり、ひらめきでり、そして共振であり、共鳴と共感なのである。しかしまた、このような音、音色といったものが好まれ、伝えられてきたということ自体が、人間の感覚といったものが求め指向する方向性を示している。

言い換えると、このような人間の肉体のリズムと共振し同期するような音色が好まれ、感じやすくなっているということである。そしてそれ以外の音は、雑音や騒音、ノイズや不具合の煩わく鬱陶しいものと感じられる。

つまり、このような範囲でしか人間は何かを感じ難くなっている。そしてこの範囲というのが、人間にとっての音の限界と、その可能性と傾向を示しているのである。

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2019-0417-0427