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それは自分自身の精神の現れであり、そしてこの精神を見えるカタチで表現したものなのである。見える肉体のカタチは何も変わらないのに、精神のカタチは、そうした自分自身の肉体の「動き」でもって表現されるのである。 「動き」とは、自分の生き方であり、表情やポーズのことであり、日常の馴れや習慣のことなのである。そしてまた、このような動き以外に、精神は、自分の表現方法を持たないのである。それしかなく、それを通してしか、自らを表現し得ないのである。 そして正に、こうしたことが自分自身の現実のすがたなのである。そしてこのような見える自分自身の現実のすがたから、見えることのない自分自身の、精神の世界を辿(たど)って行くしかないのである。 |
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2019-0417-0427