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無限のように見える自らの可能性といったものが、現実化して行く過程というのは、自己の物的な肉体の構造に基づくもので、生理的にも、また生存の形式から言ってもそうなのである。 繰り返される馴れと習慣といったものが特殊化し、狭められ、集中し、そしてそうした特性だけが強められて行く。これが適応なのであるが、それ自体はまた、他の元々あったはずの、様々な限りない可能性の廃棄の結果として成り立っている。 肯定が否定の上に成り立つように、創造もまた過去の廃墟の上に成り立っている。他の不要な可能性を捨てることによって、選択された可能性だけが残って行き、それだけが強化され、その方向だけに向かって進んで行くことになる。すなわち、これが選択であり、変異であり、適応なのである。 |