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それは、自分の心情や情緒といったものが、外の現実に現われたカタチなのである。それが、自分自身のすがたとなった、自分が現実に現れたカタチなのである。これ以外に自分は存在せず、これが自分であり、これを通して自分を知る以外になく、また、これを通して自分を理解するのである。 このようにして自分自身の情緒や、その延長としての感情や意識、思考といったものを理解することが出来るのである。これは見える現実がそうなのではなくて、その現実の時間的な変化の仕方がそうなのである。 表情やポーズや行為がそうなのである。そしてその中に現実に無いものを見ているのである。本来は見えるはずのない、この世界の秩序の必然性を見ているのである。 |