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あるいは、少なくともそうした傾向を指向することになる。また、そうでなければ、「印し」としての意味を喪失して行く。また、そうすることによって、「印し」は印しとしての意味を獲得し、その原因から切り離されて、それ自体で自律し、情緒の表現手段としての様々なカタチを表わしてくるのである。 カタチとは、揺れ動く情緒の状態のことで、快感、苦痛、驚き、ためらいなどの、そうした自分でも捉えどころのない情緒の状態といったものが、何らかのサインの印しとして、肉体表面に表れている。 つまり、顔や身体の表情や仕草として現れてくるのである。そしてこれが何らかの情緒のサインになっていて、これでもって自分を表現しているのである。そしてこれが自分の現実のすがたなのである。 |