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そしてまた、そうしたことが当事者たちの間の、感情の印しと表徴になっているのである。何かしらの感情的な行動への前兆とサインになっているのである。情緒が明確にその相手を意識して、感情へと変わり、そしてその直接の表現としての、そうした意志の目に見えるサインと表徴となっているのである。 しかし、実はこれだけではない、それが事実上の何らかの意志の「印し」となっている以上、この印し自体が意味を持たねばならない。その印しが持つ表面上の意味だけでなく、それが自分に対しても、相手に対しても、それだけで心理的に幻惑させるものでなければならないのである。 自分の内部でも、また、相手との関係においても、共にに反応し感じ合うものでなければならないのである。そしてお互いの感覚を錯覚させ困惑させるものでなければならないのである。 |