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3、信じる。


それは反面、非常に危険なことでもあって、場合によっては精神が壊れるからである。自分と他人の区別がなくなって、他者が自分の中に入ってくる。またそれをキモイと感じてしまうのは、このためなのである。

たとえばそれを、広い意味での「Sex」と言うなら、それはもっとも原初的で根源的なコミュニケーションの方法であって、自己と他者が互いに共感し交流する手段なのである。それは同時にまた、それが自分にとってもっとも安全で安心な所であることを確かめる、そうした自己了解の瞬間なのである。

そしてこのような、もっとも安心することの出来ないポーズの中でこそ、自分がもっとも安心できるのである。そうした中でこそ、お互いを信じて交流し得るからである。何もかも、すべてを信じ合える関係になり得るのである。

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2019-0505-0507