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6、怪しい。


それは確かに本人の意志が決めたことなのであるが、この意志の根拠となるべき現実の条件といったものが、それ以前に、あらかじめ与えられているということなのである。そうするしかないということである。そうした意味で、これは自由意志というよりも、「やらせ」や「押し着せ」、「でっち上げ」に近いものなのである。

だからまた、ここで生きる者にとっての感覚や、意志や、生活のスタイル、そしてその存在そのものが、非常に怪しく危ういものなのである。それは自由というよりも、偽善に近いものなのである。

現実とは、このような仮想と錯覚と誤解の世界なのである。なぜなら、このようにしてこそ現実というのが、自分にとって都合の良いように解釈できるからである。そしてこれが、自分にとって現実を生きやすいものにしてくれるのである。

戻る。             続く。

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2019-0505-0507