index< 日誌 <av表情< 24a-100 「手段としての表情」p2 |
つまり、言い換えると、現実を生きている自分と、それを意識している自分とは必ずしも一致するものではなく、別の者だということである。 このようにして自分というのが意識され、人間関係や社会というのが実は単なる手段に過ぎず、そして自分は、こうした現実とは別のところから自分を見ているのである。 つまり、社会システムや常識、日常といったものが絶対的なものではなく、相対的なものであるということを、嫌が上にも思い知らされるのである。 |