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自意識や自己認識といったものは、結局のところ自分の肉体でもって知る以外になく、また、現実的にも物理的にもそれ以外になく、そうやって自分というのが理解され、自分に気づき自分を知ることになる。 そして、それ以外を知る必要もなく、それだけが自分の自己了解と自己認識になって行く。現実にそれ以外になく、また、そうである以上、それ以外のことは知り得ず、知ることも出来ないのである。 これが自分にとっての現実なのである。そうである以上、これが自分にとっての自分の理由であって、自意識と自己認識にならざるを得ず、また、それで十分なのである。そしてまた、これが自分にとっての現実なのである。 |