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2、画一的な解釈。


そして、そうである以上、このような自意識と自己認識といったものは、このように理解され、了解もされ、気づき、知られて来て、そしてここで凝集する。定着するのである。これが「自分なのである」と確信するのである。

確信され、それが固定すると共に、何もかもがこれによって理解され、理由づけられる。それが自分の印しや証明のように思えてくるのである。要は、自分の中で自意識が定着して、現実の何もかもがそれに合わせて理解されてくるのである。それ以外になく、それだけとなるのである。

こうしたことは肉体表面の、自意識の表れとしての表情や仕草、行為にもそのまま現れている。あらかじめカテゴリー化された画一的な解釈しか出来なくなるのである。

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2019-0511-0513