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思考というのが、実際の現実の原因と理由から切り離されて、それが現れたところの印しや象徴、サインだけでもって、何もかもが解釈されてしまうのである。そうやって、すべてが理解できたと思えてくるし、また、自分にもそう言い聞かせるし、それで納得し確信もされてくるのである。 もともと自分の中にあるカタチなき情緒といったものを、カタチある自分の肉体の生理や表情でもって理解せざるを得ず、そうして理解する以外にない以上、そうせざるを得ないのである。自分が自分を知る方法としては、それ以外にないのである。 そうやって、自分でも未知の刺激や感覚といったものが、すでに知られている自分の表情や肉体の生理としてムリヤリ現れてきて、そして、それの本当の原因や理由とは無関係に、それが自分自身の情緒となっているのである。そしてこれが、自分自身の感覚の感じ方や、あるいはまた、自意識そのものになっているのである。 |