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また、それだけで何もかも理解できると思えてもくるし、また、理解するしかなく、実際そのように理解もされ、処理されている。それ以外の選択肢が自分の中に無い、ということなのである。そのように出来ている、ということである。 そして、これがまた、コミュニケーションと交流、意識の共感と共有の表情や手段となっているのである。これは必要なことなのである。それが自分たちが求め願うもの、そして、そうでなければならないものとなっているのである。 そして、これによってまた、より強固に自意識というのが自覚されてくるのである。そしてまた、それだけで納得し、了解し、安心する。そしてこの「安心する」ということが何よりも大事なのであって、これがまた、自分が「信じるもの」と結びついているのである。 そして、これに基づいて判断し、行為し、生活して行くのである。これが自分たちの日常であり、そしてまた、その戒めとオキテが支配する現実の世界なのである。 |