index< 日誌 < c信じるもの aw色 < 24a-25「まぶしい 1」p7 |
視覚なら明るさ暗さ、それに赤・青・緑といった様々な色として。明るいのはマブしく、暗いのは陰鬱である。あるいは他の感覚と連動した目舞いや息苦しさとしても感じられてくる。 触覚なら硬さ柔らかさ、鋭さや鈍さ、あるいは穏やかで緩やかな、優し気な親しみやすい感触として。聴覚も味覚も嗅覚もまたそうである。そしてまた、体内からの言い知れぬ痛さや気持ち悪さ、また、もどかしさや煩わしさ、気分の良し悪しなどもそうである。 あるいは舞い上がるような嬉しい気持ちや、あるいはまた、胸クソ悪い嘔吐しそうな感じもそうである。これは自分の肉体の内部からの感覚である。 そうやって人間は自分を意識すると共に、そしてこれを見える現実の世界の中の、自分の感覚として意識してきたのである。そしてこれが、見えるもの、聞こえるもの、触れるものといった、自分にとっての現実世界の意味なのである。 それは自分自身の感覚が獲得して作り出してきたものなのである。また、そうして始めて、それが自分の感覚となり得たのである。 |
戻る。 履歴へ
index< 日誌 < c信じるもの aw色 < 24a-25「まぶしい 1」p7
2019-0511-0513