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そしてまた、この現実の自分のすがたこそが、そしてその行為や習慣の日常こそが、自分自身の自意識の下地になっているのである。自分自身の存在の根源であり前提なのである。 しかし、前に述べたように、これは誤解なのであって、勘違いや偶然の錯覚なのである。それは自分の中の観念の世界の出来事なのである。そして、しかしまた、このような自己の日常を壊してしまうような自意識の自覚こそが、進歩と変異の原動力になっているのである。 そして実は、このような自覚こそが本来の本当の意味での、自己の自意識なのである。なぜならそれは、自分で獲得したものであって、自分で自分を反省し、映し出し、そしてそうした他人としての自己を意識しているからである。 自分が自分を意識している。そして自覚している。ちょうど夢から目覚めたときのように、別世界からもう一人の自分を見ているのである。嫌が上にも普段気づくことのなかった、別の自分というのが見えてくる。それが自覚され意識されてくるのである。自分で自分の中を見ているのである。そしてこれが自意識なのである。 |
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2019-0513-0516