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7、現実の自分。


現実の自分の姿(すがた)や、その表情や仕草といったものは、限りある自分のすがたなのであるが、しかしまた、このような自分の中にある情緒の世界と言ったものは、どこまで行っても知り尽くすことが出来ない、無限の潜在的な可能性の世界なのである。

それは自分の中にある未知の世界なのである。しかしまた、これが無限であるからこそ、有限な自分の現実のすがたでもって、これを表現せざるを得ないのである。

そしてこの有限な自分のすがた、そしてその生き方や行為と習慣でもって自分を表現するということは、これが自分の現実のすがたなのであって、そしてこの現実の自分のすがたでもって自分を知る以外にないのである。そしてこれが自分のすべてなのである。

戻る。                続く。

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2019-0513-0516