index< 日誌 y肉体 < 24a-37肉体の記憶 4 「傾向」p9

1、疑惑の科学。


自分が、この世に生まれてくる前の記憶などあるのだろうか。もちろん、そんなものあるはずがない(ただし、母の胎内での記憶は人によってあるそうである)。感覚器官や自分の肉体が未だ出来ていない、または、それ自体がないのに、「記憶」といったものが残るはずがないからである。

しかしこれは「科学的見地」からの判断であって、この科学という前提を無視すると、確かにそれはあり得ることなのかも知れないのである。科学自体が偏った偏見ではないかという疑いが、常に付きまとうのである。

あるいは、科学とは別のところで、事実というのが存在するかも知れないのである。科学と事実とは別のものなのである。ちょうど数百年来信じられて来た「理性」というのが、今日、疑いの目で見られているのと同じようにである。要するに、そうした可能性を排除できないのである。

履歴へ                続く。

index< 日誌 < y肉体 < 24a-37肉体の記憶 3 「別世界」p8


2019-0513-0516