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7、信仰。


それは、どこまで行っても「自分たち」という排他的で偏った正義でしかないのである。法律以前のところで、「自分たち」という正義と常識と信仰が、それを規制しているのである。

ケイサツと法律の存在理由は、このような自分たちの世界の秩序を守るためにあるのであって、それに反する者を規制するというところに、本来の目的があるのである。

それでは、「自分たちでない者」はどうかというと、実は、これこそが「自分たち」という存在の前提なのであって、それはどうしても排除しなければならず、許してもならない、悪者でなければならない存在なのである。

すなわち、「自分たち」でない者をでっち上げて、これを悪者に仕立て上げて懲罰を加えるところに、ケイサツと法律の本来の目的があるのである。そして、これこそが大衆の誰もが願い求めることなのである。この世界の最大多数者の利益に適うことなのである。

戻る。                  続く。


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2019-0516-0519