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なぜなら、それは自分の中にしかないものだからである。だからまた、それを他人に求めるにしても、最終的には、やはり自分の中で見つけるしかないものなのである。ただそれが他人を通して知られてくる、ということなのである。 「精神の自由」ということ自体が、人間の価値の存在を個人の精神の中に認めているからである。それを他人に求めること自体が自己の否定なのであり、精神の自由自体を否定することになるからである。 つまり、これが欧米ヨーロッパと東アジアの違いなのである。あるいは、キリスト教と儒教、あるいはまた、個人主義と集団主義の違いなのである。 |