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4、根源。


このようにして自分の中で、自分を意識する自分と、意識される自分とに分裂する。そして、自分が自分を意識する主体になるのである。果てしなく際限のない猜疑心の塊りとなって、自分で自分を疑い始める。そしてまた、こうしたことが、無限の可能性と苦しみの源(みなもと)になって行く。

しかし、もしもこの苦しみの源(みなもと)といったものを、他人に転嫁することが出来るなら、このような底なしの苦しみを味わう必要もなくなるし、無限の苦しみから解放されもする。この意味で、東アジア的な「首領様」に自己の根源を求めるのは、正しいのかも知れないのである。

また、この意味で、キリスト教で言う「禁断のリンゴ」を食べてしまったのが、あらゆる苦悩の始まりというのも、うなづけるのである。リンゴを食べたことによって、自分のタマシイをのぞき込んでしまったのである。そしてこれがあらゆる苦悩の始まりであり、そしてまた、その根源になってしまったのである。

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2019-0516-0519