index< 日誌 <ar象徴< 24a-52交感 1 「共有」p8 |
だから、やはりこれは、偶然と錯覚が支配する客観的現実なのであって、そして偶然と錯覚であるということ自体が、これが客観的現実なのである。そして、この偶然と錯覚をもたらしているのが、象徴の世界なのである。 外の現実というのが自分の中で象徴化され、そうすることによって意識され、意味づけられ、観念化され、そしてさらに、それがだれにも共有されるカタチとして意味づけられてきたのである。そして共有されるということ自体が、人間にとっての意味となったのである。 また、そうした意味だけが記憶に残ることが出来たのである。そうした意味だけが残り、それが肉体の生理の作用の仕方として残り、伝えられてきたのである。そして、それ自体が自然選択の必然の結果だったのである |