index< 日誌 k思い込み< 24a-56「続、思い込みの現実」p8

8、神々。


始め、それは観念の世界の中で、タタリや呪い、あるいは精霊や悪霊という神々のカタチで自覚されたのである。そしてこれが現実の世界で、神々を仲介もしくは体現する者としての絶対者というカタチでもって現れる。

このようにして、自己というのが自分の中で意識されているのである。この絶対者こそが、自分自身を意識させるものとして、自分の中で自分を自覚させたのである。自分が自分という自意識に目覚めたのである。

たとえそれが、外(そと)からムリヤリかぶせただけの「借り物の自意識」であっても、そうなのであって、そうやって自分を意識しているのである。差し当たり、それ以外に自分を意識する方法がないのである。それ以外に自分を確かめる方法がないのである。

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2019-0519-0523