index< 日誌 <k思い込み< 24a-56「続、思い込みの現実」p8 |
そしてまた、これこそが自分の存在の理由なのであって、自己の根拠であり、その証明となっているのである。自分には、それしかないのである。だからまた、そうした実際の行為そのものが、どうしても必要なのである。 それが誤解であろうと、ウソであろうと関係なく、要はそうした行為そのものがどうしても必要なのであって、また、そうしてこそ、「自分たち」が自分たちであり続けることが出来るのである。いままでもそうであったし、そうすることで生きて来れたし、だからまた、これからもそうでなければならないのである。 だからそれは、むしろ、意図的に捏造(ねつぞう)され、でっち上げられ、作り出される。これは、「自分たちは仲間なのだ」という世界の、どうにもならない必然的な生理であり、その存在の不可欠の前提であり、条件なのである。 |