index< 日誌 <k思い込み< 24a-56「続、思い込みの現実」p8 |
このようにして、この「よそ者」を排除し迫害するという行為自体が、「自分たち」の正当性を証明し、自分たちの優位性の根拠を提供してくれるのである。 従って、それが本当に「よそ者」であるかどうかということは、どうでもよい関係のないことなのである。要は、それが逆らえない弱い立場の人間であること、そしてみんなとどこか違っている、それだけで十分なのである。 自分たちにして見ると、自分たちでない者が居て、それを排除しているのだという、そうした行為そのものがどうしても必要なのである。そしてこれだけが自分を認めてくれるし、自分の立場を守ってもくれるのである。 |