index< 日誌 <aj情緒< 24a-62「続、情緒の世界」p5 |
それは言葉でも出来事の経験でもなく、要は、それが作用してきた肉体の生理のパターンのことなのである。頭の中の記憶としてではなく、肉体自身の機能の仕方としてそれが記憶されていたのである。 そしてこれが繰り返される歴史的な時間の中で、血となり肉となり骨となって、自分自身を作り上げてきたのである。身体のカタチとその生理のパターン、そしてその生存の様式として保存されてきたのである。 そしてこれが固定し、それが自身の存在のカタチとして保存され、そしてそれを肉体自身が、その生理の仕方の中に記憶して来たのである。肉体自身の生理と神経の作用として、そしてそのライフスタイルと、生存のための様式として保存して来たものなのである。 |